今日は委員会があって、帰るのが遅くなった。

※8巻までのネタばれを微妙に含んだ上での、捏造設定があります。


先輩っ」

 名前を呼ばれたから振り返ってみれば、そこにいたのはいつも仲良し後輩三人組。年相応の愛らしい笑顔でこちらに手を振ってくるから、思わず私もいつものキャラを忘れて笑顔になってしまった。
 パタパタと上靴を高らかに、廊下を走ってくる彼ら。まるで耳と尻尾がついているかと勘違いさせるほどの可愛さ。萌えとはこういうことを言うのだろうか。胸がきゅんきゅんする。なんだか犯罪を犯してしまいそうな危険性を孕んだ気持ち。
 少し長めの距離を走った彼らは、私のもとまで辿りつくと少し息を切らしている。いや、それにしても今思ったのだが、あの距離感で私に気付いたなんて、この子たちの目のよさは野性的だ。現代のパソコンとか携帯のやりすぎで目が悪くなった若者たちに、この子たちを見習えと言ってやりたい。あ、失敬。一人萌え眼鏡っ子がいるのを忘れていた。しかし、これはこれで眼鏡をとった時とのギャップに萌えるための備品という設定にしてしまえ。実際そうなんだし。
 閑話休題。私は走ってここまで来た彼らを、しかし、少しばかりからかうこととした。

「こら。廊下は走っては駄目だと、以前風紀委員会の特別集会で呼び掛けた筈だが? それに正臣、お前は逆にみんなを取り締まる立場なのだぞ」
「せ、先輩。すみません」
「正臣、お前は私のことを委員長と呼べ」
「はい、委員長」
「でも僕たち、先輩を見たらどうしても……」
「とりあえず、ぎゅーってしてもいいですか?」

 上から、私、正臣、帝人、杏里。何か話題と雰囲気にそぐわない発言もでたような気がするが、発言者が杏里だからよしとしよう。
 それに私、抱きしめられるの好きだし。

「ん、許そう」
「ありがとうございますっ」

 言い終わるか終わらないかくらいの、瞬間的な速度のうちに、私は杏里の胸の中にいた。一言感想を言わせてもらうとしたならば、柔らかい。もう一言許されるとしたら、私にもこんなのをつけてくれなかった神を恨む。隣で男面々が二人して、ずるいだの代わってだの言っているが、そんなのは気にしない。ここは私のベストポジションだ、誰が譲るものかっ、なーんて。

 ――それにしても。
 抱きしめられて限られた視界の中、ちらりと杏里、それから正臣と帝人を見る。何度見ても仲が好さそうな光景に、目を細めた。
 ――確か私独自の情報網、そして『あの男』の情報によると、この三人は別々の信念のもとにそれぞれ大きな組織を作っている。それが自分の意思で創られたか否かは別として。なのに、こんな風に仲良く笑っているなんて、物事の裏まで全て分かり切った人間から見たら、見ようによっては物凄くシュールな光景だ。赤と黄と青の三つ巴。――嗚呼、青のことはまだあの男ですら知らないんだった。ともかく、この状況が酷く面白いことは確かだ。
 ペロッと乾いた唇を舐めると、若干鉄っぽい味。続いて、ひりひりと表面が痛んだ。
 どうやら皮がむけてしまったらしい。外見なんか、と思って何もケアしていなかったことへの罰なのか。とりあえず、肌荒れとかは別にいいけど痛いのは嫌なので、今度リップでも買っておこうか。

「杏里。すまん、少し用事を思い出した」
「あ、はい」

 彼女は割とすんなりと私を話してくれた。
 丁度良い抱か心地と甘酸っぱい残り香の余韻に後ろ髪をひかれる。私は成功確率六十九パーセント(勿論失敗要因があるとするならば、杏里の胸)の中、無事に帰還を果たすと、合皮製のスクールバッグを肩にかけ直した。抱きつかれた反動でぼさぼさになった髪の毛を、申し訳程度に直せば、準備完了だ。
 さて、この面白かった経験をあの男に話してみようか。賛同が得られるか否かは霧の中であるが。

「ではな」
「先輩さようなら!」
「またぎゅってさせてください!」
先輩、また明日!」

 また、明日か。彼らにとって、平和な、それこそ日常的という言葉で表すのが最適なその日がくる可能性を考えた上で、それを言ったのか。もしくは願望なのだろうか。いや、全てを知っている私以外にはこの先の展開なんて分かりやしないのだから、きっとこれは何気ない日常の一コマにすぎないと思っているのだろう。嗚呼、なんて残酷な。私。
 先ほどと変わらないあどけない表情で手を振る彼らに、私は手を振り返した。

「さらば」



 夕焼けでフラグが立つ、というのならば、それはきっと悪役登場のフラグではないかと思う。それは何故なのだろう。夕焼けの温かな赤が、血の鮮やかな赤を連想させるからとでもいうのだろうか。はたまた、日常の中に相反する非日常を潜ませることで、その存在を引き立たせるため? 最も単純かつ明快な答えは、悪役が夕方が一番好きだから。
 なんて、戯言が思わず頭に浮かんだ私の目の前には、あの男の姿。今日も今日とてな服装をした上に、標準装備のニヒルな笑みを浮かべて。なんて、悪役らしい登場の仕方なのだろう。

「折原。何か用か?」
「うわ、ちゃん。御挨拶だねえ」
「別に。対して気を使う間柄でもないだろう」

 この男は人の癪に触るような喋り方をするのが得意だ。勿論それは偶然にではなく故意に。だから余計に、俗語で言うところの「うざい」と感じるのだろうが。
 私も今の一言だけで、何故か苛立ちを感じた。それ故に、スクールバックを振り回してみたが、かわされた。予想の範疇、当たり前だ。寧ろ、こんな攻撃に当たるくらいならば、この稼業を務めていられない。だが、かわされると思っていてした攻撃がかわされると、なんというかこう、くるものがある。当たって、その上、いっそ当たり所が悪くて悶え死んでしまえばよかったのに、と本気で思うほどに。
 苛立ちを隠しもせずに舌を鳴らすと、折原は苦笑した。

「そんなに俺のことが嫌い?」
「嫌い……っていうか、うざい」
「あはは、お褒めに与り光栄です」

 悔しいが、嫌いじゃない、というのは本音だ。折原は、うざいし、あえて空気を読まないような人を苛立たせる才能も五万と持ってて、人に嫌われることが多い。けれど、私は自分と同類のような匂いのするこの男に、どうしても嫌悪感を抱くことができないのだ。何故かと言われても、明確な答えは出せない、全く人間というものにはおかしな感情もついているものだ。なんて、寧ろ自己嫌悪に至ってしまう。
 目の前の折原は、それでも笑う。
 というか、こいつの笑いはどこか不気味だ。よく愛想の良さそうな、とか表現されることがあるけれど、私にはそうは見えない。強いて表現するならば、腹の中に一物抱え込んでいるような得体のしれない表情。嗚呼、はかなげな表情と表現する手もあったか。
 ――まあ、どうでもいいか。
 面倒くさくなったので、考えることも放棄した。そもそも、何故私がこいつのことを考えないといかんのだ、とか心の中で毒づきながら。

「で? 今日はやけに楽しそうだね、。何かあった?」
「嗚呼そうだ。今日、例の三つ巴とまた接触してな、抱きしめられたんだが」
「ほんと君って懐かれやすいよねえ、すぐ悪い虫がつく」
「……おい、なんでお前が抱きしめる」
「殺菌」

 往来のど真ん中で、私は抱きしめられた。しかも、悲しくも私の背はとても小さいので、抱きかかえられるという形で。
 ――こいつは羞恥というものを知らないのだろうか。
 私はこいつとは違って、結構普通に近い感性を持っているので(少なくとも異性との関係云々については)、素直にこの状況を恥ずかしいと思った。肩に埋められる頭だけでもどうにか離そうと思って、手や足を最大限に利用して抵抗してみたのだが。悲しいかな。普通の一般の男くらいには勝てる私の力も、こいつには勝てなかった。
 こんな細身のどこにそれだけの力が、と激しく驚くのだが、そういえば池袋に来た時は毎回静雄と追いかけっこしているしなあ、なんて思い直す。静雄を幾度となく怒らせて、ついには敵と認識されているのにまだ生きているなんて、それこそ一般にはできない芸当だ。一見なよっこいこの身体にも、隠された力があるのだろう。
 それにしても、どうしてもこの状況から脱出したい私は、暑い中動いたせいで顔が火照り身体全体が熱かった。汗もかいて、べたべたしているし。そんな身体を折原に触れ続けていてほしくない、なんて理由も含まれて、抵抗にもっと力が入る。
 すると、不意に折原の力が緩み、私は地面に落下する羽目になった。痛い、と思った時には、唇にぬるりとした感覚。耳に残るリップ音。キスされたと気付いた時には、彼はもう逆光の中で、道路に座り込んでいる私を見ていた。

「ははっ。ちゃんったら、真ーっ赤。りんごみたい」
「う、うるさいっ! 誰のせいだと思ってるんだ!」
「えー誰だろね」

 能面のような笑顔とはまた違う、不敵な笑顔を見せる臨也に、瞬間的に胸が高鳴った。――否定したい事実だが。しかし、どうしても胸の高鳴りは消えてくれない。それどころか、激しくなっていく。顔だって熱い。火照る。
 どうしてくれるんだ。馬鹿。

「もう知らない!」
「あ、帰るの? じゃあ、俺もー」
「ついてくるな!」
「今日はが作った料理食べたくて」
「……馬鹿」
「あれ、沈没した」

 訂正。嫌いじゃない。だが、大嫌いだ。
 
 
悪役ツンデレラ
(ほんと可愛い、大好き、愛してる、君にこんな仕事なんてやってほしくないほどに)(なんて、言ったら逃げてしまうから言えないけど)
 

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